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【感想】海外ドラマ『ブラック・ミラー シーズン3-3「秘密」』人は社会性を失うことを恐れる

ブラックミラー シーズン3

あなたは「秘密」を持ってますか?
その秘密をばらされたら、社会的に抹殺されるような、大きな秘密を。

今の時代、ほとんど誰とも交流しなくても生きていけます。しかし、誰とも交流しないで生きていくことは「生きている」と言えるのでしょうか?

ばらされたら誰からも疎外されてしまうような秘密。そんな秘密を握られ、それをもとに脅されるとしたら。その脅迫を無視できるでしょうか?

「パソコンがウィルスに感染し、何者かに恥ずかしい秘密を握られた少年ケニーは、テキストで間断なく送られてくる無謀な命令に従うよう脅される。」

ネットフリックス作品エピソードから、『ブラック・ミラー シーズン3-3「秘密」』のあらすじを引用しました。

本編の内容に踏み込んだ文章を書いています。ぜひ先に『ブラック・ミラー シーズン3-3「秘密」』を鑑賞してください。その上で再び、ブログを見に戻ってきていただいたら非常に嬉しいです。

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目次

ブラック・ミラー シーズン3-3「秘密」』人は社会性を失うことを恐れる

ブログのタイトルはわたしが物語のテーマと考えるものです。
なぜそういう風に考えるかに至ったかを3項目にわけ、物語の展開から解説しています。
最後にこの物語から考えたことをまとめています。

どんな脅しにも彼らは従った

ケニーは映像を流されることを恐れた

ケニーが自慰している場面が撮影されます。
ケニーのパソコンにウイルスが入り、そのせいでパソコンのカメラを乗っ取られたようです。パソコンでいかがわしい写真を見て自慰を行っていたため、その場面を乗っ取られたカメラが撮影していました(直接の描写はありません。写真というのはのちにケニーが話します)。
携帯電話の番号を教えないとその映像をばら撒くと、PCにメールが届きます。しばしの逡巡ののち、ケニーは携帯番号を教えてしまいます。

確かにそんな映像をばら撒かれたら恥ずかしいけれど、現在の自分だったら、見ず知らずの自分を脅迫してくるような人に携帯電話の番号は教えないな、と思いました。まあ、大多数の男性が行っていることですしね(その時点で働いている職場は辞めるかもしれませんが……)。一生、それをもとに脅される方が、長い人生を考えたら恐いです。
しかし私はもうおじさんだから、そう思うのかもしれません。まだ学生と思われるケニーにとっては、そんな映像流されたら終わりなのでしょう。
自分の意思で引っ越しもできないだろうし(今あるコミュニティから出られれない)、好きな人に見られたらこの世の終わりのように思うかもしれません。家族からも蔑まされるかもしれません。とにかくケニーは、その映像が流されたら終わりと考えました(物語の終盤でバレたら社会的に抹殺されるような秘密があったことがわかりますが)。彼は、携帯電話の番号を教え、携帯電話に届いたメールの指示に、バイトを休んでまで従います。ケニーは命令に従って、「I LOVE YOU」とメッセージが書かれたケーキを運びます。

ケニーは何をそんなに恐れたのでしょうか? 秘密をバラされたら今の自分の周りのコミュニティが壊れることを恐れたのでしょう。
ケニーの場合は何を恐れているかを具体的には描かれてませんが、いっしょにケーキを運ぶことになる男性ヘクターの脅された内容を知ると、そう考えさせられます。
ヘクターはコールガール呼んだことを家族にバラすと、脅されていました。そして、それによって家族を、とくに子供を失うことを怖いと、ケニーに吐露しています。

恐れが犯罪に走らせる

ケーキを運ぶ、ケニーとヘクター。時間制限があり、それを通告するメールが届きます。時間を守るために、物凄い荒さでヘクターは車を運転します。一歩間違えれば、誰かを轢いてしまうような速さです。自分を守るためには、他者がどうでもよくなるということが描かれていますね。人間の独善性。

メールを送る指示者は銀行を強盗しろと指示します。ずるいのは直接的に指示しないところです。メールでは「強盗犯」か「運転手」を選べと指示しています。運転していたのはヘクターだったので、必然的に(というか、押しつけ気味に)ケニーが強盗役をやることになります。

ケニーは逡巡します。そんなケニーを動かそうと、ヘクターは言を弄します。結局、ケニーは強盗をすることになります。しかし、多分ケニーひとりで行動していたら、銀行強盗などしなかったのではないかと思います。彼にそんな意気地はなさそうです。それも見込んで、指示者は二人で行動させたのかもしれません。

指示に従わなければ、ケニーはヘクターに何をされるかわかりません。それ以上に、ヘクターから聞かされた「子供を失いたくない」という気持ちに抗えなかったのかもしれません。ケニーは気が弱そうではありますが(実際、ケニーは強盗の最中漏らします)、優しそうでもあります。もちろん自分が関係なかったら、銀行強盗などしなかったでしょうが。
ケニーはおそらく自分ひとりのためだったら、強盗などしなかったでしょう。この後の行動でもそう思わされます。

コミュニティ、関係性の中で人は行動を変えることを示していますね。テーマ(私が考えるですが)に通ずる描写ですね。

強盗は成功します。

恐れは死を選ばせた

ヘクターと別れ、ケニーは指示された所定の場所に奪ったお金を運びます。
そこで待っていたのは、ひとりの男。ケニーが来たとき、男はドローンを飛ばします。そのドローンは二人を撮影しています。指示者たちが観察しているのです。
二人にきた指示は「戦え。相手が死ぬまで」。強盗したお金は賞金だそうです。

指示者はただの愉快犯なのでしょうか?
ケニーと男の秘密は同じでした、いかがわしい理由で子供の画像を見ていたことです。指示者は愉快犯であるのかもしれませんが、そういう犯罪について正義感を持った者なのかもしれません(強盗などの指示が許されるわけではないですが)。指示者のバックグラウンドは作中で語れません。物語としては、ケニーのような人たちに対する警告も兼ねているのでしょう。
確かにケニーに対して、可哀想という気持ちがなくなってはきます。ケニーがおこなったこと、彼の秘密は明確な犯罪に当たります。

強盗はよくないことですし、そんな指示をする者も犯罪者ではあります。作中の犯罪の過程はケニーへの(ひいては同じ思考を持つものへの)罰とも考えられます。
物語の冒頭でケニーが小さい子へむけたなんとなく不穏な視線が、伏線にもなっていたのですね。

ケニーは強盗のとき使った銃を男に向けます。男はケニーに「撃たないでくれ」と嘆願します。
ケニーは男に向けていた銃を自分の顎に当てます、人を殺すより自分の死を選んだのです。
しかし、その銃に弾は入っていませんでした。死しての逃避は許されません。
弾が入ってないとわかると、容赦なく男はケニーを襲います。
ここでも、人の自分勝手さを表していますね。

ヘクターがコールガールを呼んだことはバレ。他の指示されたものたちの秘密も暴露されていきます。結局、脅してくるような人間に秘密を握られたら、一生脅されるか、用がなくなればバラされることを表しているのでしょうか? ただ皮肉なオチとしてこのラストを選んだのかもしれません。

戦いは、ケニーの勝ちで終わったようです。
ケニーの秘密はバラされ母から電話で糾弾されます。
そして、強盗ででしょうか、殺人ででしょうか。ケニーは警察に捕まります。

秘密を握られたばっかりに、ケニーは社会的に殺されました。
彼はなんとなくこうなることがわかっていたのかもしれない。だから、戦いのとき自ら死を選んだのかもしれません。

死を選んだはずのケニーが何で勝ったかとなると、難しいですね。「主役なんで」と身も蓋もない見方もできますが……。ケニーの方が、もうひとりの男よりもいくらかましだったから、生かされた。多少は更生の道を示しているのかもしれません。

どうやって勝ったかを描いていない以上、彼が「どうやって勝ったか」より、なぜ「生かされたか」を考える方が、重要だと思います。精神的には肉体的にも、ケニーの方が男より弱そうでしたし。おそらくケニーの意思で戦って勝ったろいうより、偶然勝ってしまったのだろうと私は推測します。

考えさせられる終わり方です。

社会性とは人として生きるということと同義なのかもしれない

社会性。――集団をつくって生活しようとする人間のもつ基本的傾向(精選版 日本国語大辞典より引用)。
ケニーはこの社会性を失ってしまいました。これからの人生、彼が集団をつくって生きようとすることは難しいでしょう。
ケニーは死んではいません。生きています。しかし、社会性を失った後の生、それは「生きている」と言えるのでしょうか。心臓が動いている。捕まったので制限はあるとはいえ決して動けないわけではないです。生物的には生きてはいますが。

彼が将来、懲役をおえ自由に生きられるようになったとしても、彼は誰かとコミュニティを気づくことができるでしょうか?
もしできないとしたら、誰とも交流(仕事についたら最低限の交流はあると思いますが)もせず、毎日を過ごすとしたら、それは「生きている」と言えるでしょうか?

そう考えると社会性、「集団をつくって生活しようとする人間のもつ基本的傾向」、この機会を失うことは、極端な言い方ですが「死」を意味しているのかもしれません。逆にいえば、それがあってこその「生」だともいえます。

生きるの定義はこれに限定はできないと思いますが、社会性を失うことはひとつの生の死だと、この作品を見ると感じられます。

※社会性という言葉の選び方は違うかもしれません。適当な言葉がうまく見つけられませんでした。

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