【感想】海外ドラマ『ブラック・ミラー シーズン3-2「拡張現実ゲーム」』相互理解からの逃避は、他者への恐怖を大きく育てる
家族の問題や、愛する人との問題。会社や、自らが属しているコミュニティでの問題。
しかしその問題に面と向かって対峙することによって、遭遇したくない現実に向き合わないといけない。そんなとき、私たちはその問題から一時的に逃避行動に出てしまうことがあると思います。
そして、それから逃げれば逃げるほど、その問題に向き合う恐怖が大きくなった覚えはないでしょうか?
早いうちにその問題と向き合っていれば「こんなことにはならなかったのに」などと思ったことはないでしょうか?
「海外旅行中に金欠になり、高額報酬につられて開発中ゲームのテストに参加するクーパー。リアル過ぎるバーチャルな世界が、耐え難い恐怖に変わる…。」
ネットフリックス作品エピソードから、『ブラック・ミラー シーズン3-2「拡張現実ゲーム」』のあらすじを引用しました。
本編の内容に踏み込んだ文章を書いています。ぜひ先に『ブラック・ミラー シーズン3-2「拡張現実ゲーム」』を鑑賞してください。その上で再び、ブログを見に戻ってきていただいたら非常に嬉しいです。
「ブラック・ミラー」の他エピソードの感想記事に興味がある方はこちらをクリック。
目次
ブラック・ミラー シーズン3-2「拡張現実ゲーム」』相互理解からの逃避は、他者への恐怖を大きく育てる
ブログのタイトルはわたしが物語のテーマと考えるものです。
なぜそういう風に考えるかに至ったかを3項目にわけ、物語の展開から解説しています。
最後にこの物語から考えたことをまとめています。
ゲームの中で自らの恐怖の大きさを知る
嫌悪からの恐怖はそれほど大きくなかった
主人公クーパーは世界旅行を楽しんでいるアメリカ人の男性です。現在は英国にいます。
世界旅行に行った理由は明確には語られませんが、母親との確執があるようです。
クーパーの方が一方的に恐れていただけかもしれません。母からは劇中何度も何度も電話がかかってきます。しかし、クーパーは母からの電話に一切でません。
クーパーは世界旅行を終え、アメリカに帰る直前でした。しかし、トラブルから帰りの旅客機に乗るお金を失ってしまいます。
クーパーは母に電話をかけることを考えますが、結局電話をかけません。もしここで電話をかけていたら、その後のトラブルもなく無事故国に帰れたでしょう。
電話なんて簡単なことなのに、彼はなぜ電話がかけられなかったのでしょうか? ずっと電話にでていなかったのに、お金の無心をするときだけ電話するのに躊躇したのかもしれません。逃げるように家から出てしまい、それを責められるのが怖かったのかもしれません。とにかくクーパーは母と電話することを怖れているようです。
クーパーはゲーム会社でのテストプレイで一時的なお金を稼ごうとします。
「相互拡張現実システム」劇中ではそう語られるゲームをクーパーは行うことになります。VRゲームを行うような機器(2020年代現在のものよりは軽量化されています)をクーパーは頭につけます。端末とつなげるためにプラグのようなものを首の後ろに埋め込まれます。ゲームの初期化が終わると、クーパーにだけ机の上にキャラクターが見えるようになります。その名の通り「拡張現実」を使ったゲームのようです。
クーパーは古い屋敷に連れていかれ、そこで拡張現実を使ったゲームを行います。「ひとりひとりに合わせたホラーゲーム」。自分の心の中の恐怖が見える形で発現するゲームです。「安全な環境の中での恐怖の体感は発散になる」そうです。
クーパーがまず最初に見たのは、クモと昔自分をいじめていた人間でした。
しかし、クーパーはそれほど恐怖を感じていません。嫌悪感はあるのか嫌がる態度はとりますが、恐れて逃げるようなことはしません。積極的に触れ、それが「拡張現実ゲーム」が生み出した幻であることを確認します。
クモは自分より小さい存在であり、自分に大きな害を加える対象と見なかったのでしょう。過去にいじめていた人間については、もう大人になってその恐怖から克服していたのでしょう。
このゲームが自分の中の恐怖が大きければ大きいほど、恐怖を感じさせるような存在を目の前に作り出すとしたら、その二つは恐怖の対象としてクーパーの中で認識されてはいるものの、決して大きなものでなかった。克服した対象と克服する術を認識している対象に対する人間の恐怖は小さいもののようです。
罪の意識は恐怖を生みだす
暗い屋敷にひとりでいることは、少しずつですが恐怖を増大させているようです。次にクーパーが見たのは、先ほど出てきた人間と、全長にすると120cmくらいはありそうなクモが合成した怪物。気持ちがりますが、まだクーパーは大きな恐怖を感じてはいないようです。その怪物の登場と同時に今までイヤホンを通して聞こえていたゲーム会社のスタッフの声が聞こえなくなります。
外から激しくノックする音。躊躇しながらもクーパーはドアを開けると、英国で知り合った女性ソーニャが現れます。ソーニャは自分が本物の人間であることを伝え、このゲーム会社は危険であり逃げることを訴えます。これもまた幻なのですが、これはクーパーの罪の意識がうんだ恐怖によって生まれた幻だと思います。
クーパーはソーニャにこのゲームの写真が欲しいと言われ、守秘義務を破って写真を送っています。それは「いつバレるんだろう」という心配を視聴者に与え、物語に緊張感を与える要素でもあります。罪の意識の具現化がソーニャというかたちとなって生み出されのだと思います。
ソーニャに対してクーパーは自分のお金を盗んだのではないかという疑念もあったのでしょう。ソーニャは「お金をとったのは自分」「このゲーム会社に送ったのも自分」と言います。クーパーの疑念を幻のソーニャに仮託して語らせているのだろうと思います。「なぜ母に電話しないで、自分に電話したの」ともソーニャは語ります。クーパーの後悔の念がそう語らせているのでしょう。
ソーニャは包丁を持って襲ってきます。クーパーは実際に刺されます。現実の痛みは感じないはずなのに、クーパーは痛みを感じます。恐怖の増大が痛みという感覚すら擬似的に与えられるようになったのかもしれません。
それは熱いだろうと考えてコップに触ったとき、熱くなくむしろ冷たかったのに、なぜか熱いと感じたことはありませんか? 私は何度かあります。
人間の感覚は曖昧なところがあります。「相互拡張現実システム」が脳になんらかの働きをする装置であるなら、感じてもいない痛みを感じさせることも可能だったのだと思います。そのように意図して作られていなかったとしても、そのような働きを持ちうる可能性は充分にあります。
暴かれていない罪の意識は、大きな恐怖として人間にのしかかるのでしょう。そしてそれから逃れるために、誰かのせいにしようとする。クーパーのそれらの気持ちにより、ソーニャを恐怖の対象にし、クーパー自らの恐怖を増大させたのだと想像します。
母に理解されないことが一番の恐怖
ゲーム会社のスタッフの声が聞こえるようになります。
クーパーはゲームを止めることを望み、ゲームを止めるには「アクセスポイント」行けと指示されます。
「アクセスポイント」がある扉の前にまで行きますが、クーパーは扉を開けられません。その先に母がいることを感じているからです。
一番恐怖が増大したであろうこの瞬間に彼の頭の中にあるのは母のこと。母と問題に取り組むことを逃げてきた彼にとって、母に会うことが一番の恐怖となっているのでしょう。
クーパーは扉を開きます。母との恐怖を克服した象徴的な行為でしょうか? 「自分の命が危ない」という母との邂逅より強い恐怖が彼の行動を促したのでしょう。
これは何かきっかけがあれば、簡単に動けることを示しているのかもしれません。ならば問題が大きくなる前に動いてしまった方がいいということも同時に示しているとも考えられます。
部屋に入ったクーパーでしたが、彼は全てのことを忘れていました。母のことも。そして、自分のことも。
それは「相互拡張現実システム」の効果かもしれません。クーパーにとっての一番の恐怖とは、母のことを忘れることだということなのかもしれません。しだいに自分のことすらも忘れていくことから、「人間にとって一番の根源的な恐怖は記憶が消えるということ」ということを視聴者に示しているのかもしれません。何重の意味にも取れますね。
「母になぜ会わなかった」とスタッフの声がクーパーを責めます。「もう遅い」「電話するべきだった」とも。恐怖を克服したとしても、その先に誰もいなければ何の意味があるでしょう。向き合わなければならない問題には、どんな問題にでもですが、制限時間があるのです。
屋敷に行ったという事実でさえ、拡張現実の一部でした。彼はアメリカの住まいへと帰ります。
母と対峙するも、母にはクーパーが見えていないようでした。
クーパーにとっての一番恐怖は母から自分が理解してもらえないことだったのではないでしょうか。クーパーが対峙した母はまさしくクーパーの恐怖を顕現したような存在です。どんなに叫んでも、クーパーの声は届きません。理解されることはありません。
時間はクーパーが一番最初に「相互拡張現実システム」を取り付けた場面に戻ります。もうこの時点から時間は進んでいませんでした。この時もうクーパーは亡くなっていたのです。クーパーが守秘義務を違反してソーニャに「相互拡張現実システム」の写真を送るために、携帯の電源を入れたました。「相互拡張現実システム」とクーパーがおそらく電波で接続接続している時、クーパーの携帯に母からの電話がはいりました。携帯の電波が、「相互拡張現実システム」とクーパーの接続を干渉したのがクーパーの死の原因のようです。
逃避すればするほど、気持ちを伝えることは難しくなる
人と人の間にある問題を解決するとしたら、どうしても気持ちと気持ちをぶつけ合わなければなりません。それが大きくなればなるほど、自分の気持ちが大きくなり、ぶつける感情も大きくなるでしょう。
問題に対峙した結果、絆が大きくなることもあるでしょうが、決定的な亀裂が入ることもあります。
問題に対峙さえしなければ、見なくてすんでいたものを見なければならなくなる事もあります。
しかし、だいたいにおいてそのうような問題はいずれ対峙しなけばいけないときが来るものです。問題に対峙することが早ければ、絆が深まったかもしれないことが、後回しにした結果互いを傷つけるものへと変わる事もあります。
逃げたばっかりに、どちらかの当事者がいなくなり後悔に苛まれる事もあるでしょう。
適切なタイミングというものもあるとは思いますが、もし自分にとって問題を解決したければいけない人がいるとすれば、その問題と向き合うのは早い方がいいのかもしれません。
「ブラック・ミラー」の他エピソードの感想記事に興味がある方はこちらをクリック。
ブログの更新情報はこちらのツイッターアカウントから確認お願いします。