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【感想】海外ドラマ『ブラック・ミラー シーズン2-2「シロクマ」』テクノロジーが人の暗い好奇心を加速させる

ブラックミラー シーズン2

現代に生きる私たちは、常に他者に痛みをあたえられる武器を持っています。

「スマートフォン」

スマートフォンの「動画撮影機能」が他者に痛みをあたえる機能のひとつです。

「動画撮影機能」自体に罪はありません。
ときにそれは美しい風景を見せます。ディスプレイの解像度の精緻さが増している今、まるでその場所で見ているかのような奥行きや、実物よりも精彩さを増した色彩を目に焼きつけ、深い感動をそれはあたえるでしょう。
ときにそれは欺瞞をあばき、真実を白日の下に晒します。ジャーナリストが撮影した動画が世界を動かすこともあるでしょう。そして、それが人々の意識を変え世界をよりよいものにする一助になりうることもあるはずです。

しかし、ときにそれは暴力装置にもなるのです。

「公団住宅の一室で目覚めたビクトリアは一切の記憶を失っていた。不気味な人々が集まる中、必死に逃亡を続ける彼女。一体何が起こったのか…?」

ネットフリックス作品エピソードから、『ブラック・ミラー シーズン2-2「シロクマ」』のあらすじを引用しました。

この物語の主人公ビクトリアは一切の記憶を失っています。ビクトリアは自分がいた家から外に出るのですが、そこに自分と交流するものはいなく、誰も返事に答えてくれません。ただビクトリアに向けて、じっとスーマトフォンをかざしているだけなのです。

自分が駅に向かって歩いているところを、自分が住んでいる地域の人々がただじっとスマートフォンで撮影しているとしたらどう思いますか?
「ゾッ」としますよね。
自分以外のものが集団行動をとっている恐怖。そして、たとえただ歩いている姿だけでも無断で自分の姿が撮影されているのは嫌なものです。自分の姿を自分のコントロールから離れところで使用される可能性があることには、気味悪さを感じます。

この物語は、使用する機械がスマートフォンでなくビデオカメラであっても成立します。しかし、同じようなシチュエーションが現実であったとして、スマートフォンでなくビデオカメラを使っていたら、その物語にリアリティを感じるでしょうか?
ビデオカメラを常に持っている人は稀です。
しかし、スマートフォンは現在の日本に住む人の大多数が持っているのです。ひとたび、カバンから、ポケットからスマートフォンを出してかざせば、容易に動画を撮影できます。今までビデオカメラなど持ったこともない、動画を撮ることになど興味すらなかった人でさえ。
それは、現実の日常自体がこの物語「シロクマ」のような状況に犯される可能性があるということです。

ひとたびきっかけさえ与えられれば、私たちはただの機械である「スマートフォン」に暗い好奇心が刺激され、「スマートフォン」を暴力装置として使用するかもしれません。

本編の内容に踏み込んだ文章を書いています。ぜひ先に『ブラック・ミラー』シーズン2-2「シロクマ」を鑑賞してください。その上で再び、ブログを見に戻ってきていただいたら非常に嬉しいです。

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「ブラック・ミラー シーズン1~2」を見て、自分の中のベスト3を選びました。『「ブラックミラー」で オススメは何?』という方はこちらをご覧ください。『「ブラック・ミラー シーズン1~2」マイベスト3』を読む方は、こちらをクリック

目次

『ブラック・ミラー シーズン2-2「シロクマ』
テクノロジーが人の暗い好奇心を加速させる

ブログのタイトルはわたしが物語のテーマと考えるものです。
なぜそういう風に考えるかに至ったかを3項目にわけ、物語の展開から解説しています。
最後にこの物語から考えたことをまとめています。

「スマートフォン」ごしに彼らは逃亡者をみる

「死」は好奇の対象として、スマートフォンが向けられる

物語は、眠りから覚めたビクトリアの描写から始まります。
同じ部屋にあるモニタには「凹」を逆さにして突起をつけたようなマークが描かれています。
家から出て「記憶がない」と周囲に叫ぶ、ビクトリア。しかし、誰も答えず向けられるのはスマートフォンのみ。そして、覆面をかぶった男からは銃口を向けられる。
ビクトリアは逃亡の最中で出会った女性と逃げ続けることになる。路傍には何もせずスマートフォンだけを向ける複数の人々。
逃亡の中で、人の死に何度か立ち会うのだが、スマートフォンを向けていた人々は当然のように死体にスマートフォンを向け、死体を撮影するのです。

なぜ世界がこのようなになってしまったのか、ビクトリアは女性から説明をうけます。物語の冒頭でモニタに映っていたマークが影響し、世界の9割の人間が何かを監視するようになったようです。
ビクトリアや女性は意匠の影響を受けなかった人のようです。銃口を向けていたような人々もまた、マークの影響を受けていないのですが、何をしても咎められない世界になり好き放題に生きているようです。

「本性が表に出ただけ、規制がとっぱられて、止める人もいないから」と女性は、スマートフォンを向ける人たちのことを言います。
シグナル(マークのことです)にどのような催眠効果があって、彼らがスマートフォンをビクトリアたちに向けているのかは作中で詳しくはわかりません。ただ、操られているだけなら嬉々とした表情などはしないはずです。「逃亡」や「死」、人間の苦しみすらも人間はエンターテインメントにしてしまうことができることを、示しています。

「苦しみ」もまた好奇の対象として、カメラが向けられる

逃亡の最中、ビクトリアは男に捕まります。枯れ木に括られ、身動きもできません。
男は電動ドリルで、ビクトリアを襲う用意をします。
そんななか、どこから集まってきたのか、苦しむビクトリアにまたスマートフォンを向ける人々が続々と現れます。
「助けて。わたしは人間よ」というビクトリアの叫びも、電動ドリルを持つ男の歓喜の声もまるで聞こえないように、淡々と人々はスマートフォンで映像を撮り続けます。

「わたしは人間よ」とビクトリアは叫びました。シグナルに影響を受けた人にとって、シグナルの影響を受けていない人は「同じ人間」として認識していないのかもしれません。

どんなに心が優しい人であろうと、蚊や蝿が死ぬところに哀しみを感じる人は少ないでしょう。わざわざ苦しんでいるところを見たいと思う悪趣味な人はそう多くはないと思いますが、しかし命への考え方を少し変えれば、苦しみを娯楽としてとらえられるようになってしまうかもしれません。
動物だろうと、虫だろうと命は「1度失ったら、2度と返らないもの」という認識は同じです。その認識を変えるのです。催眠で「人間」の命への認識を変えるのは難しいような気がしますが、虫ならば可能なような気がします。そして、命が「1度失ったら、2度と返らないもの」という認識がなくなれば、「こんなことで楽しむなんて悪趣味」と思う気持ちはなくなり、思う存分に暗い部分を表出し人々は楽しんでしまうのかもしれません。

『催眠で「人間」の命への認識を変えるのは難しい』と書きましたが、段階をかければそれも可能かもしれません。「あの人間とこの人間は別であり、虫と同じだ」と認識させた後で、命が「1度失ったら、2度と返らないもの」という認識させれば。

書いていて思ったのですが、催眠などかけずとも歴史的にもこういうことは、たくさんありますね。

彼女はスマートフォンを向けられて当然の存在

物語は、わたしが予想していなかった結末を見せます。
SF的な物語かと思っていたのですが、現実的な物語でした。
ビクトリアが持っていた写真に写っていた少女のことを、ビクトリアは自分の子供と思っていました。真実は、誘拐し、婚約者に殺させた少女でした。ビクトリアはその殺しの場面を、スマートフォンで撮影していたのです。
ビクトリアが体験したのは、犯罪への罰だったのです。ビクトリアが少女が苦しむ姿を見、スマートフォンに撮影したこと、それと同じ体験をビクトリア自身にも体験させるという手の込んだ罰です(シグナルはビクトリアの婚約者の刺青のかたち)。

記憶を無くしたビクトリアは真実を知ったとき、涙を流していました。人の中に生まれる悪意とはいつ生まれるのだろうか、と考えさせます。

「犯罪者にはそれ相応の報いを受けてもらいたい」と思う反面、極悪な犯罪者だとして人間を、それも苦しみを見せる見世物にするのは、倫理的にはどうかと思うし、戦争や差別などの歴史の反省を踏まえ、持とうとしている理性を破壊する行為だとも思いました。

ビクトリアの記憶は再び消されます。次の日も、衆人環視のなか、昨日と同じ行動を取らされるのでしょう。
そして、スマートフォンをかざす人々は本当に遊びにきているようでした。
この遊びができるのは「WHITE BEAR JUSTICE PARK」という施設です(タイトルにもなっている「WHITE BEAR」は少女が持っていたぬいぐるみ。森に落ちていた。捜査の象徴となっていた)。
「犯罪者だから苦しんでいるとこを見ていても大丈夫。きちんとした施設で行われていることだし(犯罪者を扱うくらいなのだから、公的機関だと思われます)、お墨付きもある」こう思って人々はここにやってくるのでしょう。「これは正しいことでもある」とも考えているのだとも思います。

ビクトリアは自分が正しいと思って、少女のことをスマートフォンで撮影はしていなかったでしょう。ただの、異常な思考からの行動だと思います。
しかし、ビクトリアをスマートフォンで撮影する、「WHITE BEAR JUSTICE PARK」にきた人々は、自分たちが正しいと思っていたはずです。
人間は自分が正しいと感じたときもまた、正しくない人間に対しては異常ともいえる苛烈な行動を取れてしまうのかもしれません。

暗い好奇心を刺激するテクノロジーのかたまり「スマートフォン」

「スマートフォン」は便利です。
情報を詳しく覚えている必要をなくし、その情報に新たな価値を与える行為に集中させてくれます。
綺麗な風景があれば、思いついたらすぐ写真が撮れます。もっとうまく撮りたいと思い、構図とかを学ぶ人もいるでしょう。芸術を学ぶ人が増えれば、中には新しい価値を生み出す人が出てもくるでしょう。裾野が広がることは大事なことです。
テレビ電話など使えば、遠くに住んでいる孫の姿も見ることもできます。
もちろんパソコンでもできることもありますが、スマートフォンは普及率はパソコンよりずっと多いですし、パソコンを扱えないような人も持っています。パソコンを扱えなくても、スマートフォンを十分活用している人は多いでしょう。

しかし、「シロクマ」の物語で提示されているように、人を苦しめることも出来てしまいます。多数の人が持つ端末がです。
当然のようにスマートフォンがあった時代の人にとって動画を撮られるなんてことは気にすることではない時代に将来なるのかもしれません。しかし、現状はまだそういう時代ではありません。

人に対して、突然スマートフォンを向けて写真を撮ることが、撮られた方にとって苦痛になるということがわからない人もけっこう多いのではないかと、私は推測します。

人を苦しめないためには知識が必要だと思います。「暗い好奇心を刺激」されたとしても、それを止めるための理性、その理性を支える知識です。

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