【感想】映画『ブレードランナー 2049』人造人間の絶対の心の安定は、混濁する記憶の残滓によって崩れていった。
舞台は現実世界の未来の世界なんだけれど、2049年にこうなるとは想像はつかないね(出てこないけど、宇宙まで行っている)。別世界な感じ。
退廃的なイメージが「SF」って感じで、大変良かった。
未来の世界を、主人公を通して見せていく映画だと思う。この世界観を好きになれれば、「次はどんな光景が見られるの」と思って、楽しく見られると思う。ミステリー仕立てにもなっているので、光景だけでなく、物語でも飽きさせないように作られてはいる。
俯瞰で撮った時、直線的に規則正しく作られた街並みの光景は人工的で、未来感が出ている(管理された世界を想像させてこれはこれで退廃的)。同時に人が住む場所はすごく雑多だ。人が住んでいる街は、暗い雰囲気で撮られていた。明るい場面はなかったような気がする。明るい場面がないのは、意識的に退廃的な演出をしていたからだろう。
主人公、エージェント(捜査官)K(ライアン・ゴズリング)にはそれほど、魅力がないと思う。主人公の魅力では物語を引っ張ってはいない。Kが基本的に命令どおりに動くレプリカント(この世界での人造人間の名称)だからという点もある気がする。最後の方は自分の意思で動いていき、その果てに信じていたものが真実でなかったことを知ったKが「どう行動するの」と思うので、そこで初めて魅力が出るし、主人公に厚みが出る。
前作は十代のとき見ていてほとんど記憶になかった。原作小説『電気羊はアンドロイドの夢を見るか』も読んでいる。前作をきちんと見た方が、楽しめるね。途中で、前作の主人公デッカード(ハリソン・フォード)が出てくるけれど、この映画でデッカードの役割が与えられるような行動を前作でしていたか、記憶に全くなかった。
舞台、出てくる小物、ホログラムで現れる知性を持った人間などなど、SF好きにはたまらないガジェットが詰まった映画でした。私もSFは好きなので、大変楽しめました。
三時間の長い映画だけれど、それほど長さは感じませんでした。
『ブレードランナー 2049』物語作りに役立つところ
「SF」だということ。
最近はそれほどこだわってないけれど、一応自分の中で「SF」の定義はある(マーケット的にはジャンル分けは正しいけれど、あまりジャンル分けは好きではない)。
物語のテーマ(テーマというより中心となる事象)がテクノロジー、いわゆるSF的要素であること。
この物語だと、Kが動き出すきっかけが、レプリカントという人工的な生命が、不可能なはずの出産を行なっていたこと。
提示されたSF的事象が、世界に影響を与えること(世界というのは、内的-例えば人の心とか-、外的どちらでも構わない)。それに対する、それを得てしまった人物たちの反応、行動、思考は、現実のそれとは離れているはずで、その思考は、「センス・オブ・ワンダー」として、視聴者に感嘆を与える(のはずだけど。興味ない人には何が面白いかわからなかったりするが)。
ハイテクな武器を使っていても、それが世界に影響を与えた描写や、それによってもたらされた思考の変化(その技術がない現実世界との比較で)が描かれてない場合は、「これ、SFなのかな?」と俺は思ってしまう。小道具はもちろん大切だけどさ。
「もしこんなことがあったら、きっとこう変わるだろう」といシミレーションこそが、SFの一番楽しいところなのだ。
そう意味ではこの映画は、事象は出てきたが変化までは描かれていないかも(世界の変化の予兆は感じさせるけど)。
その変化を恐れているのは、レプリカントの子供を追うことを命令したKの上司のジョシ警部補(ロビン・ライト)だけであり、それを追うのはレプリカントであるKである。
ジョシ警部補の内面は描かれない。
レプリカントであるKがレプリカントの出産という事実を知っても、変わったようには見えない。しかし、子供を追うことによって、知りゆく事実により彼は変化して行く。
小説だと内面も描くからわかりやすいけど、映画だとそれほど説明しないから、自分の定義は少し原理主義的かもと思った。ので、定義を少し変えよう。そのテクノロジーにおける事象が、なんらかの変化を与えれば「SF」としよう。
その意味では、Kの変化はSF的事象がきっかけであり、「SF」だね。もちろん所々に出てくる、未来的なガジェットとかふんだんにあると、雰囲気が出るから良い。だけどなくてもSF。
SFだからこそ表現できていることとして、次がある。レプリカントはほぼ人間であり、食べることも性交もできる。人を好きになることもできるようだ。ほぼ全く人間と同じなのに、レプリカントであると言うだけで、虐げられている(レプリカント自体は力が強いから、肉体的な苦痛を味わされることはないだろうけれど。人間たちがレプリカントを罵倒するのは、力への恐れもあるのだろう)。明確な差別の対象が現れた時の、人間の行動があぶり出されている。
後から気づいたが、SF的な明確な内面の葛藤があった。作られた記憶か、そうでないか。Kはこれで悩み、精神に変化を起こしている。これはレプリカントという作られた存在(子供時代がない)だからこそ発生する悩みであり、問題だな。SFだからできることだ。
『ブレードランナー 2049』物語のあらすじ
2049年、貧困と病気が蔓延するカリフォルニア。
人間と見分けのつかない《レプリカント》が労働力として製造され、人間社会と危うい共存関係を保っていた。
危険な《レプリカント》を取り締まる捜査官は《ブレードランナー》と呼ばれ、2つの社会の均衡と秩序を守っていた―。
公式サイトから、抜粋。
捜査官Kは、逃亡レプリカントの一人、サッパー・モートン(デイヴ・バウティスタ)に会う。サッパーはKに協力せず、殺される。
サッパーの住まいの近くに、骨が埋めてあった。
調べた結果、その骨はレプリカントであり、レプリカントでは行えないはずの出産を行った名残があった。
Kはジョシ警部補の命令で、その子供の捜査を始める。
真実に近づくうちにKはレプリカントとして作られたはずの子供の頃の記憶と向きわなくてはならなくなる。
レプリカント製造行なっている、ウォレス社もKの行動を追い、子供を探そうとする。
子供は見つかるのか?向き合ったKはどう変わるのか?
『ブレードランナー 2049』まとめ:物語の構造
主人公はいる。主人公らしく振舞う。でも最後まで見ると、レプリカントの歴史の一部断片を主人公Kの目から見ている感じ。
前半はミステリー、ハードボイルドの文法で物語が進む。
その、探索はどんどんと記憶との対峙など思索的な方向に向かう。
探索の最終目的はレプリカントの子供を探すことだが、Kは途中から自分がレプリカントの子供と思い始めていたから、探索行は自分のルーツを探るものと変化している。
それもデッカードとの出会いでほぼ終わるが、そこで真実を色々知らされて終わりというわけにはいかず、連れ去られたデッカードを殺すという目的が発生する(その前に自分の記憶が与えられたもの気づく場面がもある)。
Kはデッカードを殺さず、彼を娘と会わせて終わり。
このような方向性は全く示唆されてなかったからね。無理矢理映画として、終わらせるためにこの場面をつけたような気がしないでもない。終わりかたとしては、綺麗だから、予定通りかもしれないけど。
ウォレスはまだ生きているし、解放軍もチラリと出てきただけ。レプリカントの娘であるアナ博士もたいして活躍しない。物語はまだ続けようと思えば続けられる。絶対続編あるだろうな。
ただ、Kの物語は終わった。続編に出てくるかもしれないけれど、ちょっと強い一般兵士とかになってしまうんだろうね。
次の主人公は、アナか、もしくはKでない解放軍の一般兵だと思う。
他にもKと同じ記憶を与えられたレプリカントもいただろう。もし、こと世界でレプリカントを物語風に語る歴史家がいたら、たくさんのそういう、レプリカントの中から、レプリカントの歴史の一断片を物語として作るとしたとき最適な存在としてKを選んだのだろう。
この映画の監督や脚本家は、その歴史書に沿って映画を作った、と考えると自然な気がする。
最近見たどんな映画でも思うけど、時間があればもう一度見たい。
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