【感想】映画「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか」を見てきた
夏休みが終わる〜。
ネタバレありで、感想書きます。
実家に帰省中CMを見て、「あっこれ絶対、俺の心に響くやつだ」と思ったので、見に行ってきました。
テレビドラマ版は見たような気がするけど、記憶にない。
テレビドラマ版の監督、岩井俊二さんの他作品「スワロウテイル」と「love letter」は見た記憶があるのだけれど。
昨日、公開日の夜に見てきたのだが、見に行く前に、ざっと感想を見たら、あまり評判が良くなかったので、あまり期待せず見に行った。
「すごく面白いし、良い映画だな」と思った。
物語は、親の再婚で転校することが決まっている女の子「なずな」、その「なずな」を好いているが何もできない「典道」(中学1年生の話らしいけれど、そんな情報どこかにあったっけ?)。
ひょんな事から、二人で地元の花火大会に行くことになる。
まだ若く、大人の関係とかも意識しない(少なくとも男は)、そんな本当に一瞬しかない瞬間の、そのまた一瞬、1日だけの物語。
そんな純粋な瞬間。でも、子どもにはその瞬間を維持しようとするには、勇気と無茶、あとお金が必要で、だいたい維持できない。
原作となるテレビドラマは「if もしも」という、「もし〜だったら」というテーマを元に、オムニバスドラマを作るシリーズの一作品。
この作品は、何度も「あの時、ああしていれば」という瞬間に戻って、やり直すのだが、原作者の岩井俊二さんに聞かないとわからないけど、テレビシリーズのコンセプトありきの作品だと思うので、「よくある展開」という批判はあたらないと思う。
そういう展開を求められて、作ったのだから。
まあ「テレビドラマの情報を前提に見ろ」と言われても困るけどね。もう20年くらい前の作品だし。
テレビドラマの情報なくても、「もしかしたら、ありえたかもしれない。そんな、いろいろな可能性を見せ、視聴者に考えさせる作品」というのはわかるけど。
なずなはプールの50メートルで競争する。他に典道、典道の友達の祐介、なずなは道典より先にゴールした、祐介をその日の夜にある、花火大会に誘う。
しかし、道典は恥ずかしさからか、なずなの誘いをすっぽかす(ここら辺がリアルでわかるなー、思ってしまった)。
祐介は男同士で花火大会に行く。花火は丸いのか、平べったいのか確認するために(友達同士でそういう議論をしていて、確かに行くことになった)。
タイトルは「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか」だけど、下から見ようという話は出てこなかった気がする。細かいことはいいか。
50メートル競争で怪我した傷を治しに、典道が祐介の父の病院に行くと、なずながいた。荷物がたくさん入ってそうな、キャリーバッグを持っている。
なんとなく典道は、なずなと一緒に帰る。
目の前で、なずなは母親に連れていかれる(中学生が花火大会に行くだけで、何であんなに必死に連れ帰ろうとしたのだろうか? いっぱい荷物を持って行って怪しいと思ったのかな)。
ちょうど通りかかった友達たち。典道は祐介を殴り。
「あのとき自分が勝っていれば」という願いを込めて、なずなが海で拾った、綺麗な石を投げる。
物語はプールの競争に戻り、そして道典が勝つ(前の記憶はない)。
なずなが駅で駆け落ちを持ちかけ、失敗する未来。
電車には乗るが、友達たちに見つかる未来。
友達たちに見つからない未来。
「もし、そうなっていたら」という色々な瞬間を典道は体験する。だんだんと繰り返す時間の記憶も典道のなかに入ってくる。
色々な未来があって、いったい真実の未来どれなんだろうか? と想像を巡らせる。
どの世界も現実とは微妙に違っていて(祐介が勝った世界はわからないけど)、花火が平べったかったり、凄く作られたものみたいな感じだったり。
でも、結局一番最初の世界が一番現実だったのかな(祐介も花火は丸いといつまでいたし。他のもしの世界だと、平べったいと言っている)、と思いきや、ラスト出席を取るために名前を呼ぶが、典道はいない。
映像として描かれた世界は全て非現実で、二人して本当に駆け落ちしてしまったのかもしれない世界があるのかもしれない、と想像させて物語は終わる。
映像は美しかった、花火の描写も素敵である。でも、最近のアニメってどれも映像が美しいじゃないですか、そのせいか、あまり印象に残らなかった。
キャラクターの造形はCMで見たときは「目が大きくて、自分の好きなキャラクターデザインではないな」と思ったが、映画見ていたら、あまり気にならなかった。
音楽は素晴らしかったな。
CMでも流れていたエンディングソングに男性の声が入っていたことが、一番この映画で驚いたことだ。
典道は標準的な中学生って感じだったな。強い個性がないぶん、なにかしでかすんじゃないか、という予感みいたものは感じさせない。安心してストーリーが追えた。
なずなも標準的な感じではある。
このキャラクターに限ったことではないけど、「自分が特別」感は鼻に付くけど(意味ありげに、海に一人でいたりとか)。まあ、街から離れるとなれば特別な感じ、にもなると思うけど。本人にしたら、望んだ「特別」でなないだろうけれど。
この年代だと、女の子の方が大人っぽいのかな。口紅とか塗って、大人びた姿を見せるところとか、視聴者の男性に「こういう子好きだろ」ってな感じを感じたな。口紅をうまく塗れなくて、「なんだよ、それ」とかいう、大人びようとしているけど、少し抜けている感があっても良かったのではも思った。それこそ、あざといかな。
なずなの浴衣から私服への着替えの場面とか、海に入るときなずなが服脱いだりとか、あんまりそういう狙っている感じのところはあまりいらないかな、と思う。中学1年生だし。同年代の男の子は嬉しいのだろうけど。それはわかるけど。
そう思うと、必要か……。
女性の意見を聞きたいものだ。
駆け落ちの電車の中で、「アイドルとして働こうかな」といって歌をなずなは歌うのだが、なずなの想像か窓に映ったなずなはお姫様の格好していて、少し子供っぽかった。
映画見ているときは、「この場面いるのか」と思ったが、後で考えて見ると、大人びた面の反対の子供の心を表現しているのかもしれない。
なずなに関しては、典道の事は好きな気持ちは本当だろうけど。それよりも、一人でいるのが淋しいとか、そういう気持ちの方が強いように思った。少しずるさを感じた(祐介でも良かったわけだし)。そこらへんもリアルなのかもしれない。
導入部分が静かな感じで過ぎていく。
風景を見せて、典道が登校日で学校に行く。友達といっしょになって、しばらくして海に一人いるなずな、それを見る典道。
この場面行くまで、演出なんだろうけど、冗長に感じた。
物語の先への期待感を何か感じさた方が良いのではなかろうか、思った。
上でも書いたが、なずなが「歌うたう場面もいるのかな」と思った。上映時間もう少し短くても良かったかな。
あと、携帯電話が一切出てこないのが気になったかな。物語上で「ワンピース」って言っていたから、携帯電話がない時代ではないと思うけど。携帯電話があったら物語上、色々都合が悪いというのもわかるけど。
だからと言って、この作品が素敵であるということは揺るがない。
映画みたいに劇的ではないだろうけれど、誰にでも、「あのときああしていたら」というのは誰にでもあるだろう(ない人もいるとは思うけど)。自分も中学生ぐらいの頃思い出した。
色々考えた。
実際の現実は、いまここにあるわけだけど。「もしかしたら、あったかもしれない」ことにおもいを馳せた。
どんなに純粋でも、駆け落ちとなるとできない。自分だったら「親に怒られるのが怖い」のが一番の理由だけど、
もしもの世界で、自分ができないだろことをやってしまう、典道に快感を感じる。
ジャンルわけに意味はない事は重々承知で、これは恋愛映画というより、青春映画だと思う。
感想書いていて「小さな恋のメロディ」を思い出した。
若い頃、何も知らなくて、今となっては大したことがないようなことに、恐怖しながらも、興味があって、時間はあるけれど、大きなお金がないからどこにも行けなくて、何も知らないから頭の中で作り出した理想を追って、その理想を追えないことに強く忌避を感じて(なずなの母親のこととか)、だからこそ残酷で、そんな今考えたら貴重な時間の物語。
そう思うけど、現実の自分はここまで純粋だったろうか。もう少し、子供だったような気がする。
何を言いたいかわからない文章になっているけど、年代って、キャラクター性を与えるんだな。
その与えられたキャラクター性に、どこまで乗っ取り、どこに反抗するのか、そういうことが物語性を引っ張っていたのかもしれない。
あと、自分にもこういう瞬間があったら良かったな、とか思ったり。これは、おじさんの意見だけれど。
本当素晴らしい映画だった。派手さはないけど、色々考えさせるし。そうやって考えることが楽しい。
この映画に限ったことではないけれど、映画って現実から逃避させてくれますね。このまま映画の世界にいたいな、と思います。実人生で大きく辛いことはないんだけれど、年齢を重ねると時間が過ぎていくことを辛く感じているのだろうと思う。
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