【感想】海外ドラマ『ブラック・ミラー シーズン1-2「1500万メリット」』欲しいものを手に入れるには明確な意志が必要だ
極度の管理社会で暮らす人々の唯一の脱出手段はオーディション番組に出演しスターになること。しかし優勝者には予期せぬ残酷な状況が待っていた
ネットフリックス作品エピソードから、『ブラック・ミラーシーズン1「1500万メリット」』のあらすじを引用しました。
「叶えたい夢がある」そんなことを思ったことはありますか? わたしはあります。「小説家」になりたかったです。今でもなりたいと思っています。しかし、現実に「小説家」としてデビューする機会があったとして、今のわたしは「小説家」を職業として選ぶでしょうか?
『なぜ疑問を浮かべるんだ。機会があるのならば、素直に喜んで、「小説家」として生きていく道を選べばいいのに』と思った人もいると思います。
「1500万メリット」、この物語の登場人物であるアビという女性は、「管理社会から脱出するため」に自分の一番の才能である歌をオーディション番組で披露します。アビにとって、その才能は「管理社会から脱出するため」だけのものではなく、愛すべきものであり、その能力で認められたいという思いもあったはずです。
アビはオーディションに出るために、ビング(物語の主人公)という男性から援助を受けていました(オーディション番組に出るために必要な1500万メリット)。ビングはアビの歌声が素晴らしいと思っていたからです。
アビは歌声以外の能力で「管理社会から脱出」を提案されます。持っていた才能を、まったく活かすことができない能力でです。
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目次
『ブラック・ミラー シーズン1「1500万メリット」』欲しいものを手に入れるには明確な意志が必要だ
ブログのタイトルはわたしが物語のテーマと考えるものです。
なぜそういう風に考えるかに至ったかを3項目にわけ、物語の展開から解説しています。
最後にこの物語から考えたことをまとめています。
人間は安定があり、かつ刺激的な生活を求める
刺激もなく、安定もない日常から抜け出したい
物語はビングが起床する場面から始まります。部屋の壁はモニタとなっており、朝の風景や番組の宣伝などが流れます。見たくない番組の宣伝は消すこともできますが、そうするとポイントのようなものが減ります。これがメリットと言われているものだと、後々にわかります。歯磨き粉を出すための蛇口のようなものもあるのですが、歯磨き粉を出すためにもメリットが必要です。自販機で食料を買うときにもまたメリットが必要となります。メリットを増やすためには、自転車を漕がなければなりません(どうやらそれで、発電をしているようです)。
ビングたちはそうやって、自分が稼いだメリットを使って生活をしています。
ビングが住まっているこの施設について、詳しい説明は劇中でありません。メリットが無くなったとしたら、どうなるかも言及がありません。
アビがビングとの初めての会話の中で「先週21歳になったの」「姉と同じ空調部門に行きたかったけど、人気だから空きがなくて」という台詞があります。
この台詞から予想できるのは、この世界の人間は21歳にになったら、住まう施設を動かすための何らかの仕事につかないといけない。そして、おそらくいったん仕事についてしまったら、死ぬまで選んだ仕事をし続けなければならないということです。
ビングの生活は、起床し、働き(自転車を漕ぎ)に行き、仕事が終わったら部屋に戻ってゲームを行う(90年代初期の3Dゲームのようなゲームです)。施設から外に出られるような描写は、劇中にありませんし、そもそも施設の外が描かれません。
「同居人を買ってみたら」アビの台詞です。この同居人は生身の人間でなく、モニタ上の存在だと推測します。恋人を作ることもできないのでしょう(ビングはアビに一目惚れをしたような描写があります。そういう感情はあるようです)。自分のアバターに服を買うこともできます。しかし、現実には灰色の作業服を着ているだけです。
同じことを行う毎日。外にも出られず、恋人も作れない生活とは、どんな生活でしょうか? 退屈でしょう。
現実世界に置き換えても、「会社に行って、働く」というのは同じですね。でもわたしたちは外に出ることができるかもしれないし、恋人を作ることができるかもしれない。他にもビングたちが考えることもできなようなことが、わたしたちはできるかもしれない。個人個人によって様々な事情があって、実際にはできないこともあるでしょう、しかし可能性は断たれていない。少なくとも「こんなことができたらいいな」と夢を見ることはできるはずです。
ビングたちのようにすでに型にハマった生活をしている人間たちには、その生活を乱すような出来事が起こることすら奇跡だと思います。
日常に何も変化が起こらない毎日は退屈です。しかし、その変化というものは厄災であることもあります。
何も起こらないであろう日常から抜け出すことでき、それでいて安全で安定した生活が手に入る道があったとしたら、人はその道を選ぶでしょうか。たとえその道を進むために、望まないことをやらされるとしても。
劇中でただひとつ、何も起こらない日常から抜け出す方法があります。「ホットショット」という、オーディション番組で認められれば、スターになりビングのように働くものたちに、娯楽を与える側になることができます。毎日、刺激がない同じような労働をしなくて済むようになります。
アビとビングはそれぞれ、オーディションを受けることになります。
アビは刺激と安定がある、スターになることを選んだ
アビは「ホットショット」のステージに立ちます。
「ホットショット」に出るためには、1500万メリットかかります(数字がでかくて貯めるのが大変そうですね。半年間、節約してやっとたまる数字のようです。普通に生活している人には貯められないようです)。それをビングが肩代わりします。理由は偶然、「トイレで聞いた歌声が素晴らしかったから」「偽物だらけの世界で、本物に出会えたから」だそうです。そうビングはアビに伝えます。
ビングがアビに一目惚れをしているような描写もありますので、本当のところはよくわかりません。ビングが「アビに気に入られたい」という気持ちがなかった訳ではないでしょうが、ビングがアビに伝えたことも本当でしょう。退屈な毎日を崩すために「アビに掛けた」という、気持ちもあるのでしょう。
アビはオーディションで歌います。目の前には、審査員3人と、観客として施設で働いている人たちのアバター。舞台のそでにはビングもいます。
アビの歌は素晴らしいものだと、審査員に褒められるものの、現在、歌手として活躍している人が多すぎて、歌手で番組に出ることは無理だと伝えられます。そして、ポルノスターになることを勧められます。
アビは涙を流していました、しかし迷っているのかはっきりと断ることもしません。もう「自転車を漕がなくていい」という審査員の声。「やれ、やれ」という観客の声。そでにいたビングは「舞台から降りろ」と言いますが、オーディションのスタッフに捕まり、そでから離れさせられます。審査員の「マシンを漕ぎ続ける毎日から抜け出せるチャンスを掴みたくないんだろ」と言われ、「つかみたいです」とアビは言います。
そして、アビはポルノスターになることを選びます。それが援助してくれた、ビングが望んでいたものでないこともわかっていたのにです。
『何も起こらないであろう日常から抜け出すことでき、それでいて安全で安定した生活が手に入る道があったとしたら、人はその道を選択するでしょうか。たとえその道を進むために、望まないことをやらされるとしても』
アビは選びました。もしかしたら、もう一度オーディションを受けて、歌手としてスターになる道もあったはずなのに。
アビにとって「歌手としてスター」になることは本当に欲しかったのものではなく、一番欲しかったのは、退屈な毎日から抜け出すことだったのでしょうか。
わたしはそうは思いません。もし観客の「やれ」という声や、審査員の急かせるような声がなければ、アビはポルノスターになることを選ばなかった可能性もあったと思います。
現状の生活から抜け出したいという気持ちと、ポルノスターになって刺激があって安定した生活を取ることは別問題です。
『審査員の「マシンを漕ぎ続ける毎日から抜け出せるチャンスをつかみたくないんだろ」と言われ、「つかみたいです」とアビは言います』この部分は、ふたつの問題を意図的にいっしょにしています。「つかみたい」と同意したからには、「ポルノスターになること」も同意しなければならない、とアビに思わせています。
周囲の声や、審査員の詐術まがいの声があったとしても、アビに「歌手としてスターになる」という明確な意志があれば、その場で断ることもできたはずです。
酷なことを言っていると思いますが、彼女には願ったものを手に入れる明確な意志がなかったのです。
ビングは刺激と安定がある、スターになることを選んだ
ビングは、アビがポルノスターとなった映像を含んだ宣伝を見て逆上します。アビのために自分の持っているメリットをほとんど使ってしまったため、その宣伝をスキップすることができません。目をつむると、モニタが赤くなり、「再開してください」という電子音が流れます。
忌まわしい過去を拭い去るためにか、アビが「ホットショット」にでた時に、付添人の印としてつけられた手の甲のマークを削り取ろうとします。しかし、削り取ることはしません。
ビングは、自らが「ホットショット」に出場するために、メリットをためます。そして舞台に立ち、パフォーマンス少しおこなったのちに、ガラス片を首に当て、審査員に「話を聞け」と訴えます。「今の生活から抜け出したい」と思って頑張っている人たちを上から見、審査する審査員たちに対して罵倒します。デモみたいなものです(1人だけど)。
しかし、それですら審査員たちにとってはショーとしか受け入れられません。しかも、審査員にパフォーマーとして番組を持つことを提案されます。
『何も起こらないであろう日常から抜け出すことでき、それでいて安全で安定した生活が手に入る道があったとしたら、人はその道を選択するでしょうか。たとえその道を進むために、望まないことをやらされるとしても』
アビを奪い、アビの純粋な夢を弄ぶように崩した審査員への怒りから舞台にたったはずなのに、ビングは番組を手に入れることを選びます。否定している存在に選ばれることによって得られるものを受け入れます。「怒り」をショーとして、消費すること選ぶのです。
ビングの訴えは嘘だったのでしょうか? わたしはそんなことはないと思います。
ビングの心には今でも「怒り」があるはずです。審査員に向けられなくなった「怒り」は自分を攻めているでしょう。たとえ本人にそういう認識がなくても。
ビングにもまた、明確な意志がなかったのです。
新しく手に入れた彼の部屋の壁はモニタとはなっていません。窓からは緑が見えます。「自分が欲しかったものは、このようなものだったのだろうか?」とでも思っているのでしょうか。
明確な意志がないと、何が大切なのかがわからない
ビング、アビが「刺激があって、安定した生活」を選んだのは、本当に欲しいものをきちんと考えていなかったからではないでしょうか。
現実社会でも、「やりたいことはできるけれど、給料が少ないな」など、メリット、デメリット両方がある選択肢はたくさんあると思います。
「自分が欲しいもの」について考えていなければ、「世間の常識」という物差しで考え、人に話した時「その選択はおかしい」と言われない方を選んでしまうのだと思います。もちろん、その選択肢が間違っている訳ではありません。しかし、考えた結果として「世間の常識」と同じ選択をした方が後悔が少ないと思います。
「自分が欲しいもの」についての考え、意志を明確にしておかないと、いざ「自分が欲しいもの」に関わる選択を迫られた時、何を基準に選べばいいかわからなくなります。
劇中のように、急に選択を迫られることは少ないと思いますが、「自分が欲しいもの」について意志を明確化することは大切なことだと思います。
「自分が欲しいもの」があるにもかかわらず何もしなければ、そんな選択を迫られることもないのですが……。わたしが欲しいものは、果たして何でしょうか? 偉そうなことを書いていて、実はあまり考えてません……。
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